あなたが名前を知っている有名な僧侶を言ってくださいというと、アニメで有名になった一休さん、心優しい良寛さん、弘法も筆の誤りのことわざでも有名な真言宗を広めた空海さん、それとともに名前が挙がってくるのが天台宗の開祖であり、のちに禅宗、浄土宗、日蓮宗などを育てた比叡山延暦寺を開いたことで有名な最澄さんがあげられるのではないでしょうか。

平安時代の仏教の両雄

特に、空海や最澄がいなければ、日本仏教は今とは違った形のものになっていたかもしれないと言われるほどです。

特に、弘法大師と言われた空海と、伝承大師と尊称された最澄は、平安時代の名僧で、ともに遣唐使として唐に渡り、日本で仏教を広めた立役者です。
この二人は、野球で言えば、王と長嶋というような好敵手であり、よく比較され、天才肌で外交的な空海、秀才肌でまじめな最澄と言われています。

空海と最澄の扱いの違い

遣唐使として船に乗った両雄であるが、その扱いはかなり違っていた。
当時、桓武天皇から天台宗を開く事を認められた最澄は、遣唐使として派遣されたときは超有名人。旅費も全て無料で通訳付きという特別待遇であった。
一方、空海はまだ正式な僧侶の手続きをしておらず急遽慌てて手続きをして船に飛び乗ったぐらいの無名な僧侶で、扱いはその他大勢という扱いであった。

唐で空海は「密教」に目をつけ、サンスクリット語をマスターし、密教の経典をGET!したのです。
一方、最澄は視察目的の短期留学僧という立場であったので、密教に関しては学びたかったものの一年たらずで帰国せざるを得なかった。

やがて、天皇が交代して嵯峨天皇となると、嵯峨天皇は密教をマスターした空海に、仏教で国家を護る役目を任せた。
これで、無名だった空海は、最澄と肩を並べるようになった。

時代は最澄から空海へ

時間がなく十分に密教を学ぶことができなかった最澄は、7歳も年下の空海のもとを訪れ、頭を下げて弟子入りをしたが、お願いするも空海から密教の経典を貸してもらうことができなかった。

秀才肌でまじめな最澄が残した言葉

最澄が残した言葉に、次のような言葉があります。

「努力というものは、わずかな時間や暇も惜しんでしなければならない」





努力家の秀才タイプと言われた最澄らしい言葉ですが、この言葉の裏には、学びたかった密教を完全に自分のものにできなかったくやしさもこめられているのかもしれません。

たった1年という唐への留学期間。天台宗は極めることができたが、極めたかった密教に関しては、時間が足らず不十分な状態で日本に帰国。
もう少し時間があったならば・・・という思いが強かったのではないでしょうか。

最澄の密教を学び、自分のものにしたかったが時間がなくできなかった無念さ、これが、時間は貴重なものなんだという気持ちになり、この言葉になったのかもしれません。


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